ぱちぱちのココロの中。

日々の事を徒然と。(2022.10.29より再開)

私の過去のこと⑥【施設看護師時代】



「私の過去のこと①~⑤」の続きとなります。
一応最後のパートになる予定です。
正直、直近のことすぎて書こうか悩みましたが
自分の頭を整理するためと
同じような気持ちで辛い方の
何らかの助けになればとの思いから
書くことを決めました。




ネガティブ、負の内容多めです。
ご注意ください。














☟      ☟      ☟






↑休職が決まる前後の事はこちらの記事にまとめてあります。
前回と同じ写真が使いまわしされています笑









「通いやすいから、夜勤がないから」
という理由で選んだ職場だった。
特に深く何かを考えて決めたわけでは無かった。



入職当初から、色々なことに対してモヤモヤと
違和感を感じていたものの
私が他の職場から転職してきた組だからそう感じるんだろう
と、その違和感は我慢してやり過ごしていた。



初めて我慢の限界が来たのは

入職して3週間くらいのとき。

とある人達に
自分の出来ない事や、

陰口を色々言われていることに気づき
一人で掃除をしているときに

ポロポロと涙が出てきた。



しかし、こんなことは

どこの職場でもあること
今辞めたら早すぎるし

履歴書に響くとの思いから
そのまま何やかんや色々とある中続けていた。




ただ、私の事だけでなく
とある人達の

仲間内以外の人たちへの接し方に対し

疑問に思うことが多々あり

自分たちが人を傷つけていることに

気付いていないの?と思っていた。



そしてそれを色々と日々見ていたら
なんだか疲れた笑



これが社会?当たり前なの?

どこでもあることなの?
と常々考えていた。



また転職先での1年目の一番つらいときに

当時付き合っていた人

(結婚を考えていた彼氏)に

話し合いの隙もなくフラれ、絶望の淵にいた笑




同期もいなくて、心から話せる人もいなくて

「あ、私ほんとに独りぼっちだ」と思った。

家族が居なかったら、辛すぎた。

(丁度一番しんどかった頃、

今の彼氏と出会った。

正直、当時は自暴自棄すぎて

誰でも良いと思っていた)






多分、この時は

本当に色々と限界だったんだと思う。





そんな中転職して3年目に

とある委員会のリーダーを任され。
だけどやっぱり中学時代のように思うように
メンバーは動いてくれず。
「私、真面目に何やってんだろう」と思った。
(私も確認とかもっと

 マメにしていれば良かった。
 人柄的にはみんなとても良い人)







ただ、今のお付き合いしている彼氏と
忙しいながらも時々連絡をくれる

看護学校時代の友人
(ブログに載せたプリクラを撮った友人)、
そして泣きべそを見せながらも
話を聞いてくれた家族の存在があったから
今、私はここにいると思う。





めちゃめちゃ暗い事を書いてしまうが
通勤をしているとき
「あー。事故ったら仕事行かなくて済むな~」
なんてボンヤリと怖いことまで考えていた。
(車の人に大迷惑)



それが今は、パニック発作があるたび
「いやだ、死にたくない」

と思えるようになったし
健康に気を遣おうと思えて
栄養の勉強も出来るようになってきたし
体調はまだかもしれないが
メンタル面では大分回復したなと思う。





本当に人生何があるかわからない。
嫌なことがありながらも
なんとなく順調だなと思っていた矢先に
こんなに色々とあるとは思っていなかった。



だけど、この休職中に
「生きているだけで幸せ」

「好きなことが出来るって幸せ」
「当たり前なんてない」

「栄養大事」
などなど、普通に生活していたら

気付けなかったであろう事
に気付くことができた。
そういう部分は

人生を豊かにしてくれるんじゃないかな
と前向きに捉えている。










今後の事は正直わかりませんが
今は「人生の休養期」

と自分の中ではしています。
病院の先生とも相談しながら

追々仕事の事は考えます。




①~⑥に渡る、決して明るい話題ではない内容を
読んでくださった方、本当にありがとうございました。
私の頭の中の整理にブログを使わせて頂きすみませんでした🙇‍♀️



これにて一応終了とさせて頂きます。




(終)

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